歴史に学ぶ経営(ペルシア戦争)

人類の歴史上、多くの争いごとがありました。
当然ながら勝者と敗者がいる訳ですが、勝者と敗者を分ける原因やプロセスから学ぶことも多いと考えられます。
今回は経営戦略においても参考になるであろう、ペルシア戦争を取り上げます。

マラトンの戦い

アケメネス朝ペルシアは紀元前550年から紀元前330年に古代オリエントに存在した王朝です。
第3代のダレイオス1世のときには西はエジプト東部やエーゲ海沿岸、東はインダス川までを版図としていました。
紀元前330年マケドニアのアレクサンドロス大王に滅ぼされることになります。

紀元前490年、ペルシア軍がギリシアのマラトンに上陸しマラトンの戦いが始まります。
ペルシア軍は約2万、騎兵を中心とした編成で、対するギリシア軍は約1万、重装備の歩兵を中心とした編成でした。
数の上では不利なギリシア軍でしたが、近距離戦に持ち込んだこと、背後からの奇襲やによって勝利します。
ギリシア軍の死者192人に対して、ペルシア軍の死者は6,400人と言われており、2倍の数の相手に対して完勝といえる結果となりました。

ちなみに、兵士の1人が勝利の報にマラトンからアテネまでの40kmの距離を走ってアテネに届けたことが「マラソン」の語源となったと言われていますが、この話自体は史実かどうかは諸説あるようです。

テルモピュライの戦い

マラトンの戦いから約10年後にペルシアは20万の大軍(様々な説があり、10万~60万と幅があります)をもって侵攻します。
対するギリシア軍は、古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスによると約5,000人強、ディオドロスは約7,700人とされています。

戦力差は圧倒的でしたが、戦場は隘路でペルシア軍が数の差を生かしづらいこともあって、ギリシア軍は奮戦していました。
そこで、ペルシア軍は軍の一部を迂回路を通ってギリシア軍の後方から攻撃させます。
挟み撃ちにあったギリシア軍は敗北してしまいます。

サラミスの海戦

テルモピュライの戦いで敗戦したギリシア軍は陸戦を放棄し、海戦に持ち込むことを決断します。 ペルシアに対してギリシア海軍の場所を密告して(ふりをして)海戦に誘います。

ペルシア軍は684隻、ギリシア軍は約380隻でしたが、ペルシア軍は海戦を想定していない輸送船だったのに対して、ギリシア軍は海戦を想定した船でした。
さらに風向きや波を利用し、ギリシア軍はペルシア軍を破ることになります。

勝利の要因

マラトンの戦いにおいては数に劣るギリシア軍がペルシア軍を破ることになります。

勝因として、相手の強みを生かせないシチュエーションづくりが挙げられます。
騎兵の機動力を生かせず、重装備の歩兵の強みを生かした接近戦というシチュエーションを作り出したうえで、駄目押しに背後からの奇襲で相手の混乱を誘うという戦法を用いました。

テルモピュライの戦いにおいても、ギリシア軍はペルシア軍が騎兵を展開しづらい場所を戦場に選んでいます。
実際、ペルシア軍の被害も大きかったようですが、戦力差に加えて挟み撃ちをされたこともあって負けてしまいました。

すぐさま陸戦ではなく、有利になれる海戦に誘い込み、サラミスの海戦で勝利をします。

これらを総合すると、

  • 強みを生かす
  • 自分が有利な(相手の強みを生かせない)シチュエーションを作る、あるいは生かす

の両方を見たしているといえるでしょう。

最後に

自社が競合に勝てる点というのは、それを生かせる環境、状況があってのことだと考えられます。
自社の強みを生かすことができる環境づくり、状況づくりまで考えられているでしょうか?

環境や状況は自社の努力だけではどうにもならないことでもあります。
しかし、有利な環境になりそうか、状況を作れそうかというアンテナを張っている必要はあるでしょう。
経営においては相手が1社だけとは限りませんが、基本的な考えは変わらないと思われます。

以上、参考になれば幸いです。

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